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以前書いたブログにコメント頂いた。
ファシリテーターをどうとらえるか、スタッフミーティングの意味はなど、色々考えさせられる事がコメントとしてあった。(facebookにコメントは書いてあります。)

私はグループの安全、安心っていう表現が好きではない。
ファシリテーターとしてグループに参加するメンバー全員が感じる安全や安心を保障する事は、私は出来ない。
それぞれが感じる安全や安心は異なる。
そしてある人にとって安全と感じる事が、別の人には安心って感じない事かもしれない。
そういう事があるとしたら、私はファシリテーターとしてメンバー全員に安全や安心と感じる環境の提供は出来るとは思えない。
また、安心や安全と感じる事が大切であろうか?
もしかしたら安全や安心と感じない所からも何か気付きがあるのではないだろうか?
そう考えると、私たちファシリテーターはどのような環境をメンバーに提供出来るのかが分からなくなってくる。
 
アンケートをグループ内で行う事...
この意味はファシリテーターはちゃんと考えなくてはならないって思う。
私はD論を書いているとき、D論の内容がエンカウンターだったので、エンカウンターグループのファシリテーションをする時は、すごく気を使った。
私は自分がファシリテーションするグループを、私のD論に使いたくはなかった。
メンバーは皆、お金を払ってグループに参加する。
だから私のD論のため、データのためには絶対にグループを使いたくないって思った。
乗鞍のグループは一切アンケートを取らない。
終わった後もアンケートをしない。
感想もグループの中で聞けば良い。
アンケート用紙に書いて下さる事が全て本当だとも思わない。
ファシリテーターとして自分の感覚を信じたい。

今年の春にあった院生が中心となって行う構成的グループの時にも、紀要に書く資料となるかもしれないからアンケートをとった。
グループの前と直後、そして3ヶ月後に。
でも毎回のセッション後にはアンケートを取っていない。
院生には自分がどのように感じているかを信じて、その感覚を大切にして欲しいって言った。
もちろん、アンケートにその意味があるのも分かる。ような気がする。
でもアンケートを取る時には、その意味と影響をしっかりとファシリテーターは考えなくてはならないように思う。
今回のグループでは、「今までやっていたから」何もその影響や理由を考えずに行った。
アンケートを取る時に意味は、しっかりと考えなくてはならないし、もしアンケートをするとしたら、メンバーにやらないでも良いって言う選択肢も必要なのではないだろうか。
もし修論や博士論文でエンカウンターグループでデータを取りたければ、データを取るためのグループを行えば良いのではって思う。
実際に何人もの修士課程の学生が修論のデータのためにグループをオーガナイズし、そのグループにファシリテーターとして参加した経験が私にはある。
でもこれを書きながら思った。以前東京のカウンセラーに、私はかなり倫理観が厳しいって。
誰のため
誰がお金を払っている
って考えると、ファシリテーターが「勝手に」やりたいからやってよいとは思えないんだよなぁ〜
でもファシリテーターやカウンセラーとしてはメンバーやクライアントに対しては臨機応変な対応が出来る人って信じたい、自分の事を。
グループが始まったら、カウンセリングの中では、臨機応変に何があっても対応して行きたいって思っている。
そのためにははっきりとした枠組みが私には必要である。
そしてその枠組みは自分が説明出来ない枠組みは持たない、持ちたくないのかもしれない。

こうやって書いて行くといろいろ私の中で変わって行く。
何回ファシリテーターをしても結論はでない。
どのようなファシリテーターが良いのか、分からない。
でもその時、その時全力でやるしかないって思う。

大事なのは、その時その時、全力でちゃんとグループの中に居てきちんと対応する、パターン化しない関わりの中で...そして色々な対応が出来る勇気が大切。

今日は、ここまで
また書くかもです。