鸚鵡小町、観てきました
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今日のメインはお能「鸚鵡小町」
このお話は、番組によると…
陽成天皇は和歌の道への思い深く、優れた歌を求め、撰ばれておりました。
そこで昔は歌が上手く、現在は100歳となり、落ぶれた身となっている小野小町のことを思い出し、新大納言行家を使、天皇からの歌を伝え、小町からの返歌の出来栄えを見てみようということになります。
行家は近江の関寺へ小野小町に会いに行きます。
天皇の詠んだ和歌は「雲の上はありし昔に変わらねど 見し玉廉の 内やゆかしき」
小町の変化は一文字を変えたもの「内やゆかしき」を「内ぞゆかしき」に…
これは鸚鵡返しの返歌だと小町は言います。
そして行家の求めに応じて在原業平が玉津島明神で舞った法楽の舞を舞ってみます。
その後行家を見送った小町は、関町の庵へよろよろと帰って行きます。
っていうお話。
メインは100歳の小町が舞をする場面。
杖をつきながらの舞です。
お能では生き霊や死んだ霊などの舞が多いように思います。
でも小町は生きており、そして怨念とかではないです。
100歳という歳で舞を舞う。
その舞には生き霊や霊が持つような派手さや人をどうにかしてやろうっていう念のようなものではありません。
最初、何かわからないモノに惹きつけられる感じで見ていました。
そして、杖をつきながら舞う女性の、しかも100歳で、きっと若い時は綺麗に舞っていたであろう姿を思いながら舞う女性の気持ちを考え始めました。
女性の使っている杖がものすごく細いのです。
なんかそれも気になって…
凛としたいうか、芯のある女性。
杖をつきながら舞う女性。
単純に見ていて私もこのような素敵な形でプライドを持って生きていける女性になりたいなって思いました。
この女性の舞を表現する小鼓や笛の音。
いつもの音色と違っていました。
強くない音。
でも強い音。
この音が魅力でした。
小町の心を表現している音でした。
ただ私としてこの演目が目の前で現在演奏していらっしゃる小鼓 飯田清一、笛 藤田六郎兵衞のメンバーで大鼓が亀井忠雄先生だったらどうだったかなとか亀井広忠さんだったらどうだったかなって思ってしまいました。
このお能を見終わって思ったこと…
もう一度見たい。
もう一度観たら小町の気持ちとかもう少し分かるかなって…
お能を観ながら、今感じていることをメモらなきゃって思ったのも初めてでした。
私にとって何か心に残る、そんなお能でした。
もう一度観たいなぁ